いつの間にかぽっかりと浮かんだ白い月が、夏の終わりを美奈子に知らせた。
「美奈子、お待たせ。・・・どうした?」
「やっぱり9月だなって思って。日が短くなったよね」
体育館の入り口に凭れ掛かったまま、とっぷりと濃紺に染まった空を見上げて、美奈子は嵐を仰ぎ見た。
嵐の部活動も早めに終わり、19時を過ぎたばかりの時間だった。
この春二人ははばたき学園を卒業して―――嵐は体育大学へ、美奈子ははばたき市内の一流大学へと各々進学した。
大学が違う上に嵐の運動部所属ということもあって、お互いの生活スタイルが中々合わず、美奈子が嵐を待ち伏せする日が続いた。
今日も、その“日常”のうちの一日でしかない。
「9月っていったって、暑いのに変わりはねぇけどなー」
気だるそうにスポーツバッグを担いで、いつも通り左手を差し伸べてくれる。当然のように嵐の骨ばった指に指を絡めて手を繋いだ。
ふと、いつもなら空いているはずの嵐の右手が紙袋を持っているのに気が付いた。
「なんか、お買い物でもしたの?」
あぁ、と軽く持ち上げて紙袋を見せてくれる。
「明日、誕生日だからって。いろいろもらった」
「へぇ? どんなのもらったの?」
「いや、まだ開けてねぇ。 “実用品”っつってたな」
高校三年間でも思ったが、嵐は自分のことには無頓着だ。美奈子が喜ぶようなことは色々考えてくれるけれど、嵐の自分本位での実行は無いに等しい。
9月8日―――――明日は嵐の19回目の誕生日だ。
しかもちょうど土曜日で朝から予定も空いているということもあり、どこか出掛けようと提案したものの、“二人でいるならどこでだって一緒だろ”という嵐の意見により、嵐の部屋で過ごすことになったわけだが。
平凡な日常こそ仕合せ、日常は平凡に過ぎる。





腕時計の時間と『不二山』の表札を確認して、インタフォンを押す。
高校時代から何回か遊びに来ている嵐の自宅だが、いつまで経っても呼び鈴を押す時の緊張は解れることはない。
すぐにインタフォンから聞きなれた返答があり、玄関から顔を出した嵐にほっとする。
「いらっしゃい。迎えに行けなくて悪かったな」
「ううん、お邪魔します」
(―――――あれ?)
ふと、違和感に美奈子は目をしばたかせたが、気付かない振りをしていつも通り靴を揃えて玄関に上がった。
「飲み物持ってくから、先に部屋行っててくれ」
(今日、おばさまいらっしゃらないのかな・・・)
いつもだったら最初に美奈子を迎え入れるのは嵐の母親であったし、嵐が台所に入っていくのもない光景だった。
台所へ入っていく嵐を見送り、階段を上った。
高校卒業する前に行った模様替えにより、雑然としていた嵐の部屋もパイプベットと勉強机だけというシンプルなものへとなった。
ところどころに放置されているダンベルや柔道着に、じっとしていられない彼の性分が伺えて思わず笑ってしまう。
その中に、見覚えのある紙袋を見つけた。
(あ、昨日の包み・・・)
くしゃりとした包装の様子から、どうやら開けてみたようだ。
(男の子同士でも、プレゼント渡したりってするんだな)
今まで男友達というのが周りに居なかったためあまりそういった話をしたことがなかったけれど、やはり誕生日が特別と思う男子もいるのだろうか。
幼馴染みの桜井兄弟を思い起こして、そういう人もいるんだろうなと納得する。
嵐に至っては、一切そんなことはないだろうが。
男の人同士のプレゼントってどういうものをチョイスするんだろうかと、ちょっとした好奇心が頭を擡げたところで嵐がペットボトルとグラスを持って部屋に上がってきた。
「今日、おばさまいらっしゃらないの?」
「ああ、親父と映画観に行くって出かけてった」
家に誰もいなくなるから迎えに出れなかったんだけどさ、と嵐はたぱたぱとグラスにお茶を注ぎながらなんでもないようにさらりと言ってのけ、よいしょと美奈子の傍らに胡座を掻いた。
(二人きり・・・!)
今までに無いシチュエーションだ。
心なしか座る位置だって近い気がする。
意識してしまっている自分が恥ずかしくて、少し距離を置く意味をもって先ほど見つけた紙袋を振り返る。
「昨日もらったっていうの、何もらったの?」
「え?! ちょっ!」
ひょいと、軽い気持ちで紙袋に指を引っ掛けると、珍しく慌てた嵐が動きを制しようとしたが、その動きも虚しく紙袋がフローリングに倒れこんだ。
ばさりと倒れた紙袋から中身が飛び出て、きついピンク色の小さい箱と3cm四方ほどの銀色のパッキンがいくつか散らばった。
パッケージにデザインしてある絵柄に美奈子は視線を逸らせなかった。
(コンドーム・・・!)
「・・・別に隠すほどのものでもねぇとは思うけど・・・」
嵐は頭を掻きながら、それでも気まずそうに紙袋に散らばったそれらを入れていった。
「う、うん。びっくり、した、だけ。嵐くん、あんまりこういうのに興味なさそうだなって・・・」
そうか? と嵐は首を傾げる。
「大切なことだろ。学生の間、養えないなら子ども作れねぇし、興味はねぇけど我慢だって限界超える」
嵐の言葉一つ一つが、中々飲み込めない。
見返した嵐の瞳は、真っ直ぐに美奈子を捕えて止まない。逸らしたら喰われる、と頭のどこかで警報が鳴り響く。
「分かんねぇ? 俺、結構忍耐強いられていっぱいいっぱいだけど、毎日」
手首を捕まれ、あ、と。
声を出すよりも先にフローリングに引き倒された。
背中をしたたかに打ち付けて痛みが走ったが、それよりも嵐に捕まれた手首が痛い。
痛い、という悲鳴は嵐の唇によって飲み込まれた。いつものような柔らかく触れるような口付けではない。
唇を舐るような愛撫に背筋が震える。
歯列をぬるりと柔らかな粘膜を擦り付けられ、思わず声を上げそうになったところを狙って、口腔に嵐の舌先が侵入する。
上顎や頬の内側を舐られ、奥に縮こまった美奈子の舌先もやがては絡み取られて好きに弄ばれた。
こんなにも肉感的な口付けを受けるのは初めてで、膝を立てることすらできない。
美奈子を捕えた手とは逆の嵐の骨ばった指先が、美奈子のシャツをたくし上げて裸の腹部から乳房に向けて這い上がってくる。
左の手は拘束されたまま、口付けも執拗に繰り返され、突然のことに身を揺することしか抵抗することが出来ず、しばらくレースの上からなぞらえていた接触はやがて素肌を求めてレースは乱暴に擦り上げられて乳房を露わにされる。
嵐の手はまろい乳房の感触を執拗にたどり、やがて頭を擡げた乳首を捕えて指先で弄る。
その接触に背筋を這い上がるものが嫌悪ではなく――――快楽であることに気付いて美奈子は怯えた。
唯一動かすことの出来た右手で嵐の胸板を押す。力を込めることはできなかったが、震える指先は、嵐を留めるには充分だった。
嵐は目が覚めたように美奈子から身を離した。
解いた口付けから零れた唾液を、手の甲で拭うのが生々しい。
「ごめん・・・! 俺―――――・・・」
身を起こした嵐に背を向け、乱された衣服を震える指先で直していく。
怖いと思ってしまった。
美奈子は自覚する。
嵐の雄としての豹変にではなく、嵐に求められて、乱暴な所作にも関わらず歓喜する身体と更に愛撫を求める淫猥な自身に気付いて―――――それを嵐に知られるのが怖いと思ってしまった。
「わたし、帰るね、ごめん・・・っ」
嵐が何かを叫んだが、荷物だけを引っつかんで逃げるように飛び出した。
続く毎日が幸せだと思っていたのに、僅かな波紋に耐え切れずに挫けそうになるのは。
これ以上嵐に近づいて、離れられなくなる自分が怖くてたまらない。
好きだという気持ち一つだというのに。
あの一瞬、嵐に捕まれた手首が赤黒く鬱血していた。
(手首・・・)
傷つけられたその鬱血にすら悦びに心が震えた自分が信じられない。
手首が痛いはずなのに。
(胸が痛いよ、嵐くん―――――・・・!)





そして日常は変化を遂げる。
嵐に捕まれてできた手首の鬱血は数日できれいに消えた。
あの日、嵐からメールが届いて、返信を考えあぐねるうちに一週間が経ってしまった。
求められて嬉しかったと、傷つけられて嬉しかったと告げるにはどうしたらいいのか、メールの返信を作っては消してを繰り返していた。
はっきりしろよ、と口癖のように口を尖らせる嵐が頭を過ぎる。
日常から脱した今となっては、元に戻ることはできない。
嵐を好きになって、嵐からも求められるようになって、もうその時点で引き戻ることなどできないことを、今更気付いた。
一度芽生えた息吹が葉を蓄え、蕾を宿して花を咲かせる。散った花の底には次の息吹を宿す。
なんてことない。日常なんてどこにもなかったと、美奈子は苦笑した。
一週間前と同じように『不二山』の表札を確認してインタフォンを押す。
一週間前と同じように、聞き慣れた声が聞こえて―――名乗った瞬間切られたと消沈する間もなく、玄関が勢い良く拓かれた。
「―――――もう、会ってもらえないと思ってた」
「ごめんなさい、急に」
いや、と頭を振った嵐の声は掠れていた。
酷いことをした、と辛そうな嵐の告白に、美奈子の胸に劈く痛みが走る。
もう会えないだなんてこと、考えたことも無かった。
無言で頭を振る美奈子に、嵐は玄関じゃなんだから、と部屋に促した。
部屋に通されて、どこから話そうと頭に血が上る。
「先週、お誕生日プレゼント渡しそこなっちゃって・・・」
それも理由の一つ。でも違う、と頭を振った。それは言い訳の一つだった。
一週間も会わなかったことなんてなかったから、だから。
「・・・会いたくて! 顔を見たくて、来たの!」
見上げた嵐の表情は信じられないと言いたげな、顰めたものだった。
侮られたことが悔しくなって、真正面から抱きつく。
自分よりも大きな身体をぎゅうぎゅうに抱しめて、嵐本人にすらこれはわたしのものだと知らしめてやりたい。
出逢った時よりも身長も伸びて、背中だってたくましくなった。
毎日欠かさずトレーニングを重ねて、創り上げられたアスリート。
同じ人間だというのに、こんなにも身体の歪が目立って、こんなにもくっついているのに一つになることが出来ないことに歯がゆさしか生まれない。
堪らなくなって、悔しさから涙が込み上げる。
ハ、と息を吐いたと同時に、今まで微動だにしなかった嵐の手が美奈子の背中を掻き抱いた。
抱き上げられるほどきつく抱しめられて、こんなにも乱暴な抱擁だというのに美奈子の心は歓喜した。
骨がきしむ痛みに、思わず咳き込んでしまう。と、強引に嵐は美奈子の肩を押さえ込んで距離をとった。
「―――――好きなんだ」
美奈子の耳たぶを焦燥した嵐の告白が掠める。
「本当に、本当なんだ。ものすごく大切にしたいし、ものすごく可愛がりたい」
嵐の真摯な瞳が美奈子を射止める。
いつだって嵐は真っ直ぐに美奈子を見据える。
「・・・そう思うのは本当なのに、ふとした時に、すげぇ乱暴な気持ちが胸をぎゅーって締め付けて、それをお前にぶつけようとする」
いつだったか、“受け身を覚えろ”となあなあに言い続けた嵐を思い返す。
美奈子の肩から離れた嵐の両手のひらがきつく結ばれているのに気付いて、美奈子の指先が嵐の拳に触れる。
嵐は躊躇うように拳を解いて、美奈子の白い指先に触れた。絡めて指先を引いて、美奈子の手の甲に唇を寄せた。
まるで祈るような、忠誠を誓う口付け。
「・・・危険なんだ・・・」
それだけを言うと、嵐は口付けを解いて絡めた指先を解放した。
まるでこれでお仕舞いだと言うような嵐の仕草に、美奈子は離れようとする日に焼けて骨ばった手のひらを引き寄せる。
嵐の手のひらを心臓の上―――左の乳房に宛がうとびくりと精悍な手首の筋肉が硬直するのが明らかだったが、逃さないように両手で抱しめた。
「みな・・・っ」
「―――――酷くしてもいいよ」
抱き寄せていた嵐の手のひらを解いて、その熱い手のひらに口付ける―――親愛の印だと、きっと彼は知らないだろうけれど。
それでも、嵐に触れる手の温度や唇の熱さで、彼への想いが届きますようにと美奈子は祈る。



「嵐くんだから」



「お前・・・マゾだったか?」
しばらくして、ようやく発した嵐の声は掠れていた。
美奈子が見上げると、観念したように嵐は小さく嘆息を吐いて苦笑した。
「嵐くんがドSだから、ちょうどいいよね」
ね、と笑って見せた美奈子の面に嵐の影が落ちて、そして。












「・・・かっこわりい・・・」
美奈子から身を起こして、嵐が呆然と呟く。
執拗なほどの口付けを繰り返し、嵐の指先は乱暴ではないけれど荒々しく、それでも丁寧に美奈子を愛撫して身体を拓いた。
身体の一番奥の柔らかなところを蕩けるほどに嵐の指は美奈子を追い詰めて、やがてあられもない体勢をとらされ、抵抗することもできない。
花弁に熱くて硬いものが宛がわれて、そして。
「ごめん、中途半端。お前は・・・ツラかったりしねぇの?」
「う、ううん、なんか、まだよくわかんないから・・・」
辛いか、と問われどういうことなのかイマイチぴんと来なかったが、曖昧に答えながらとりあえずシーツから身を起こす。
セックスというものが果たしてどういうものなのか美奈子も未知の行為ではあるが、嵐の欲望は挿入される前に果てたようだった。
最後まで至らなかったにしても、嵐に愛撫されつくした花筒は未だに初めて異物を受け入れた違和感が拭えない。
(もし、“最後”までやってたら、もっとヘンになっちゃうのかな・・・)
柔らかな寝台の上でも座るのにすら苦労しながら、美奈子は足元に追い遣られていたタオルケットを引っ張って、とりあえず胸元を隠す。
「あー・・・まさか先っぽだけであんな気持ちいいとは思わなかった・・・」
嵐の赤裸々な告白に居た堪れなくなる。
それでも嵐はどこかしら納得できないようで、ぶつぶつと今日の反省点を挙げている。
精液に濡れたコンドームをティッシュに包んで、少しの八つ当たりを込めて屑篭に放り投げた仕草から、どうやら拗ねているようだ。
嵐にしては珍しいほどの気の沈みように、美奈子はちょっと甘やかしたくなった。
俯く精悍な背中に寄り添うと、嵐があからさまに息を呑むのがわかる。
「・・・そのうち美奈子も気持ちよくしてやるからな!」
嵐が勢いよく宣言して、頷くことしかできない。
頷いた美奈子にようやく気持ちの切り替えが出来たのか、嵐は寄り添った美奈子の裸体を抱き寄せて、そのままベッドに倒れ込む。



「次は、最後までしような」



な、と穏やかな微笑を向けられてはもう何も言えなくなってしまう。
未だ裸のままというのに、抱きすくめられて身動きすることができない。硬直した美奈子を労わるように嵐の手が緩やかに背を撫でてくれたが、益々美奈子の行動範囲を限られるに至った。
嵐の手管がいやらしく動くことはなかったが、裸で抱き合ったままで問題ないのだろうかとか、そもそも素肌が触れ合うのが恥ずかしくてたまらないとか、いつまでこのままでいるんだろうだとか、そもそも“次”ってこれからなのか今度なのだろうかとか、不安要素と疑念が美奈子の思考を埋め尽くしていく。
嵐のリベンジは、果たして。



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ザ・自己満。





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