冷たいシャワーを頭から浴びる。
浴びる冷水は、容赦なく春色の髪を滴っていった。
俯いたまま目を開くと、足元に溜まっていく水が見える。
僅かに視線を上げると、前髪が額から頬に掛けて張り付いて、髪から滴る水が頬から首筋、肩へと流れていく。
一度目の中忍試験以来、短く整えた髪形は変えていない。
一時期、“サスケが髪の長い子がタイプだ”という噂を信じて、髪を伸ばしたこともあった。
忍として生きることを決意して以来、肩より先に伸ばしたことはなかったが。
本当に。
全うに。
サスケが初恋だった。
そして未だサスケ以外、恋をしたことがない。
この小さいながらも主張する乳房も。
ただ細いだけの身体も。
身体や白い皮膚に傷つくたびに治癒に専念するのも。
忍としての実力をつけたのも、彼を里へ戻すため―――彼の野望を全うさせ、その背に守られるだけの存在にならないため。
彼のためだけに成長してきたのだ。
たっぷりとした湯船に身を沈める。
サクラの心を汲み取ったように、水面に波紋が広がった。



ちゃぷり。





うちはさん
のサスケくん 2






「―――――は?」





「だから、結婚しました。以上、報告まで」
そう言って、サクラはその軽い体重で腰掛けていた塀から飛び降りた。
数日降り続いた水溜りに、晴れた空の中にサクラが浮かび上がる。
塀に一人取り残されたイノも、慌ててサクラの後を追う。
「サクラ、アンタ本当に言ってるの?」
イノのアイスブルーの瞳がサクラを見据える。
翡翠の瞳は無情に見上げて、瞬いて見せた。
「本当よ。嘘吐いてどうするの」
首を傾げて、どうってことないように言う。
そんな平気で居るサクラにイラついて、イノはもどかしげに言葉を選ぶ。
「だからって、何で、いきなり結婚に到ってるのよ!」
イノの直接的な設問にサクラは一度だけ翡翠を伏せて、瞼を震わせる。
その瞬間を、イノは見逃さなかった―――見逃すはずがなかった――――が。
見なければよかった、とイノは後悔した。
少なからず、サクラの表情を見て本当に見なければよかったと、後悔した。
振り返ったサクラは綺麗に、それは綺麗に微笑んだ。





「相対性理論と、不変資本の結果―――――かな」



*



表札には“うちは”とあった。
サクラがこの門構えを潜るようになって、三日目―――うちはに春野サクラが嫁いで、三日目になる。
玄関に手を掛けた瞬間、人の気配を察して、あれ、と思う。
誰か来ているのだろうか。
「サックラちゃーん、おっかえりー!」
「あれ? ナルト?」
思わぬ客人に素っ頓狂な声が上がる。
出迎えてくれたのは、想像していた黒髪ではなく、まばゆくほど明るい金髪だった。
何より、黒髪の彼が玄関先にまで出迎えてくれるなんてことは、きっと有り得ないだろう。
前回の任務以来ナルトは別任務に就いていた為、三日ぶりの再会になる。
――――――サスケとサクラが結婚して、初めて会う。
「綱手のばあちゃんから聞いてさ・・・ビックリしたってばよ」
ナルトの単純な感嘆に、サクラは肩を竦めた。
サクラ自身、未だ実感が湧いていないのだ。
「水臭いってば・・・いくらスリーマンセルでやりにくくなるかもしれないって言ってもさぁ!」
ナルトはそう言って、唇を尖らせた。
その表情に、この婚姻の意図をナルトが知らされていないことを知る。
本人たちではなく綱手から聞いたというのが、ナルトの中では納得が行かなかったようだが、本当に、本心から祝うために訪れたのが分かる。
「サスケに聞いても、何も答えてくれねえんだもん」
リビングのある方をチラリと見遣って、サクラちゃん帰ってきたばっかで玄関先だな、とナルトは苦笑いした。
急かすようにサクラの手を取り、リビングに続く廊下をずんずん進んでいく。



うちは邸は、広い。
サスケはサクラに一つ部屋を与えた。好きにしていい、と言っていた。
東側の部屋で、サスケの自室とは正反対の位置にあった。
客間だったらしく、あまり使用された形跡も無く、一通りの家具はきれいなまま配置されていた。
その他、台所などの水周りやリビングを共同部屋とした以外は、全くの別室で過ごすという。
まるで共同生活だ。
家の敷地内も好きにしていいと言われた。
だから、なんとなく。
スリーマンセルの時から幾度か通されたリビングが居心地が良く、就寝以外はほとんど居付いてしまうことが多い。
何より、リビングに居る方がサスケが帰宅してきた時や、家内を移動するときに目撃できる回数が多いという利点があった。
どこまでも片恋が続く、とサクラは思う。
リビングに入ると、鬱蒼とした表情のサスケがソファにもたれかかっていた。
そして舞い戻ってきたナルトを見遣り、明らかに眉間に皺を寄せた。



*



「ナルト、お夕飯食べていくでしょ?」
「・・・サクラちゃん、料理作れるんだ・・・」
ナルトの呟きに、サクラは大根を振り上げて切っ先をナルトの顎に向けた。
「お夕飯の材料にされたい?」
「いえ、いただいていきます・・・」
でも、野菜抜きでね! と念を押すナルトに、両者から却下された。
キャベツを切ろうと、包丁を振り上げたサクラから、サスケがやんわりと包丁を奪い取る。
「・・・お前は何を切るつもりなんだ」
「キャベツ、を」
サスケが触れた手に熱が篭る。
それを察知されることが恥ずかしくて、サクラは何気ない仕草でサスケから間合いを取る。
サスケは僅かに眉を上げたが、特に気にすることなくキャベツをザカザカ切り始めた。
俯いたまま硬直したサクラを見て、ナルトは耐え切れなくなったのか噴出した。
なによ! と真っ赤になったサクラをからかおうとナルトが口を開きかけたところで、甲高くまな板を叩いたサスケの包丁の音に黙らされた。
なんだかんだと。
騒ぎ立てながらも。
三人で夕飯の仕度を終え。
いつも通りナルトとサクラが一方的に話し尽くすような食卓を囲み。
楽しく、穏やかな時間の経過だった。
少なくとも、13歳の頃のスリーマンセルを思い出せるくらいには。



「いいなぁ、オレもここに住みたいなぁ」
食事を終え。
任務なり守備範囲なり、通常と変わらない会話を交わし。
そんな中で、ナルトがふいにソファにへばり付く様に駄々をこね始めた。
強請るように目を輝かせたナルトに、サスケは鬱陶しそうに眉間に皺を寄せて何も見ないように目を瞑る。
「もう帰れ、お前」
うんざりした表情のサスケに、ナルトは生意気にも一気に鼻息を吐いて踏ん反りがえる。
「サスケはムッツリだから、オレが帰ったらサクラちゃん危ないってばよ」
サスケくんに限ってそんなことないわよ! とムキになって拳を振り上げると、ナルトは大袈裟に両手で頭を覆った。
そのまま逃げるように玄関へ足を向けるナルトは「じゃあな!」と軽やかに別れの挨拶を残していった。
あまりにもナルトらしくて、サクラは少しだけ笑うと、ソファにどっしりと座り込んでいるサスケに送ってくるねと言ってナルトの後を追う。
ちょうどナルトが玄関を開けたところで追いついた。
まるでタイミングを計ったように、ナルトが振り返る。
目が合った瞬間、悪戯が成功したようにニカリと笑うものだからドキリとする。


「サクラちゃんはさ」


ナルトが遠い、月を見上げて話し掛ける。
いつも真っ直ぐのナルトが、人の顔を見ないで問い掛ける時。
ナルトなりのカマを掛けるときのクセだった。
少なくとも、サクラはそう思う。
「サクラちゃんは、サスケと結婚して、嬉しい?」
あまりに直球な質問に、どうしたの、と瞬くと琥珀の瞳は真っ直ぐに見据えてくる。
「サクラちゃんがずっとサスケを好きなのは知ってる」
突然のことに心臓が抉れる。
彼が好きだということを再認識させられる。
「でも、なんか、おかしい気がして溜まらないんだってば」
ナルトは察しているのだ。
この不自然で歪められた婚姻を。
祝福に来たのは本心からだろう。
しかし、あまりのイレギュラーな展開に、置いていかれているのは本人達以外も同様であることを知る。
(―――――そうだ)
サクラは浮かれているのは自分だけであることを思い知る。
強制的に成就された想いでしかない、このカタチであることも。
「ナルト」
呼吸を整える。
そうでなければ取り乱して叫んでしまいそうなほど、緊張している。



「きっと、わたしはズルイんだよ」



軽蔑されるんだろうと思う。
独占欲にまみれて、強制的に組み込まれた状況であろうとも、傍に居られることが。



「こんな方法ででも、サスケくんを独り占めできていることを喜んでる」



滲む優越に、顔が歪む。
きっと、ヒドイ顔をしているのだろう。
彼女の恋愛は、彼女を最も弱くしていた。
“彼”に嫌われていることを認識していた。
いつだって、煩わしいそうに眉間を寄せられることを知っている。
だからこそ、これ以上嫌われないように。
これ以上自分を痛めないように、守るために。
それでも傍に居たい独占欲を丸出しにした卑怯者なのだ。
その代わりに、彼女の恋愛は想いを沈めて沈黙した。
ナルトがガラにもなく神妙な表情をしているのを見て、居た堪れなくなる。
最低だよね、と俯いた春色の頭を、ナルトの大きな手のひらが優しく撫でた。





木の葉の雨季は風が冷たい。





ナルトを見送り、リビングに戻ろうとした途中で、サスケに出会う。
もしかして部屋へ戻るのだろうか。そういえば既に日を超えている時間だ。
「おやすみなさい」
至極当然な挨拶をすると、サスケが俯いた。
彼の伸びた前髪が表情を隠してしまい、伺うことが出来ない。
サクラは僅かに躊躇った後、サスケの前髪に手を伸ばそうとしたところで、優しくない手の甲に拒絶された。
「サスケく・・・?」



「お前は、憧れと恋慕を勘違いしている」



言って、顔を背ける。
やはり表情を見受けることが出来なかった。
「・・・どういうこと・・・?」
呆然と呟くサクラを一瞥して、サスケは背を向けた。
ぽつりと。
その一言は、サクラの心に波紋を打ち出した。



ぽたり。



ぴたん。



キッチンから、時折水垂れの音が聞こえる。
ぽたり。・・・ぽたり。
流しに足を運んで、カランを閉める。
最後とばかりに、一滴が水の溜まった桶にダイブする。
サクラを映し出していた水面に。
その小さな一つの滴が。
大きな波紋を打ち出した。









ブラウザバックプリーズ






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送