その日の朝も、サクラは喪失感と共に目が覚めた。
(喪失感?)
ぽっかりと心の一部分を削り取られたような異物感が拭えなかった。
忘れてはいけないような、遣り残しているような、小さな胸騒ぎ。


『―――――事あるごとに俺がお前を犯していた。それをお前は受け入れたくないんだろ』


漆黒の髪。
昏い瞳。
象牙色の皇かな肌。
薄い唇。
紡ぎ出したテノールは、まるで吐き捨てるような。
彼が彼を追い込んでいるからだろうか。
そんな彼を目の前に罪悪感や嫌悪感がもどかしく渦巻いて、飲み込まれることしかできない自分が疎ましくて仕方がなかった。
そういえば、ずっと前―――幼少の頃もこんな思いをしながら日々を過ごしていた。



(あぁ、これは)











久々、ゆっくりとした朝を迎えることができ、朝食を食べ終わったところで玄関から声が聞こえた。
「―――――イノ?」
「おはよ」
まるでサクラが家を出るのを見計らったようなタイミング。
今朝の目覚めといい、思い出してしまう。
「どうしたの、こんな朝から?」
「私、今日から任務に入るから。話す機会も今日くらいじゃない? 里の門まででも良い距離だと思って」
待ってるから支度してきなさいよ、と玄関に居座られてしまった。
まるで10年前と同じコース。
アカデミーに入学したばかりの頃を思い出す。それもいつの間にかなくなってしまって、イノが迎えにくるだなんて本当に久しぶりのこと。
何かあったときには、イノは理由をつけては離れた家にも関わらず、朝迎えに来てくれていたのだ。
「サスケくんのこと。 “今日も”記憶喪失?」
「だから! 記憶喪失じゃなくて、知らないだけだってば・・・!」
ふうん、とだけイノは相槌をするだけで、何も言わなかった。
きっと“そのこと”を聞きたかったのだろうけれど、それ以来一言も“うちはサスケ”に関する話題を振られることはなかった。
だからサクラも。
聞きたかったのに、一つとして聞くことができなかったのだ。





(人、一人分の記憶を喪失したらどうなるんだろう)
サクラのふとした疑問だ。
事実、“その現実”に立たされてもそんなことが有り得るはずがないとしか言いようがない。
同じ里の仲間で一人分だけ記憶を欠落させるということは、どこかしら歪みが生じるはずなのだ。
少なくとも、“誰かしら”がその一人と組んで任務を行っているはずなのだから。
召集をかけられ火影室に向かう合間も、里の忍とすれ違う。
“知らない”という認識の忍は誰一人としていなかった。
アカデミーに通う下忍ですら、一人として。



『・・・―――――ことあるごとに犯していた』



嘲笑うように言い放った黒の瞳が忘れられない。
ことあるごとに、と言っていた。
一度ではなかったのだろう。
それでも彼が言ったとおり、“うちはサスケ”の記憶を無くした今として、支障がないのも間違いではなかった。
「サークラちゃん! 久しぶり!」
「ナルトも呼ばれたの?」
火影室の前に来たところで、顔なじみに声を掛けられほっとした。
そもそも、“一人だけを”忘れることなんて、ありえるのだろうか。
ナルトならアカデミーからスリーマンセルとずっと一緒に組んできた仲間だ。
凡そ同じ任務を遂行し、同じプログラムをこなしてきた。
「今回の任務にサクラちゃんが就くってことは、サスケもか」
「え、なんで・・・」
「サスケと海外任務も久しぶりだってば」
サクラちゃんもここんとこサスケと組んでばっかだから久しぶりだよなと、ナルトは相変わらずの突っ走りようで、サクラの言葉も聞かずに火影室をノックする。
室内からの返事も聞かずに扉を開け放ち、室内の人間の眉間がいっせいに寄る。
「ノックの意味ねぇし」
お前らうるさすぎ、と気だるそうにやる気の見られないへの字の唇に不平を述べられた。
面倒くさがりの割りに、遅れてくることはまずない。
「シカマルー? なんで、どうして?」
任務のためにフォーメーションを組むにあたって、攻撃タイプのナルト、中距離・捕獲タイプのシカマル、医療忍術のサクラが組むのはおかしなことではない。
「今回はフォーマンセルだぜ」
シカマルは顎をしゃくってもう一人を指す。
ナルトは当然のように振り返って、じゃあシカマルが先生かぁといつまでも下忍気質が抜けない発言をした。
その視線の先に気鬱の彼を見つけて、サクラの肩が強張った。
「―――よし、全員揃ったな」
綱手は漆塗りのデスクで美しく指を組んで、早速議題に入った。珍しく急いている、とサクラは思う。
「今朝方になる。砂隠れの里に新種の毒を用いて襲撃があった。何者か、どこの里の者かは不明とのことだが、襲撃した忍の中に聴覚を利用しての幻術者がいたそうだ。最後に砂の西のゲートで目撃されている。木の葉に向かうのも時間の問題だろう。砂隠れに向かい、サクラは受毒患者の早急処置と毒マニュアルの作成を。音忍を確保、排除されるまで“うちはサスケの擁護”を同時に担え」
うちはサスケの擁護。
えー、と明らか不平不満を述べようとするナルトの横で、シカマルも口を曲げた。
「つか護る必要ねぇだろ」
そういうシカマルは“擁護”という文言に文句があるのだ。
「まぁ、そう言うな。音忍が動いているというならば万が一のことを備えなければならない。サスケは木の葉にとって“財産”だ」
綱手の言葉を聞いて、シカマルは意味ありげに口端を上げた。
へぇ、と言ってみせる。
「“万が一に備えて”、サクラを同行させるんですね」
意地の悪い言い方をするシカマルも珍しい。
ナルトは黙り込んで床を睨みこんでいた。
「サクラは―――解毒剤の件もあってだ。それ以上に深い意味はない」
苦笑を返す綱手にも呆然としてしまう。
この“うちはサスケ”という少年は何者なのだろうか―――?
口を挟めないでいるサクラに綱手が振り返った。
「どうした、サクラ? ずいぶんと大人しいな」
「いえ・・・!」
頭を振って、笑って誤魔化す。
できることならこのまま何事もなく任務に就いて、任務を遂行したい。
“うちはサスケ”に対する認識がなくとも、任務ならば支障来たさないだろう。
それでもうちはサスケを知らないことを察してもらいたくなかった。
理由はなかった。もしくは分からなかった。それでも、どうしても。





「どいつもこいつも、いつまでもサスケのことを・・・!」
火影室から出て、ナルトは癇癪のように吼えて、任務が標してある書面をチャクラで飛び散らせた。
シカマルがわざとらしく大きな伸びをした。そしていつもどおりのメンドクセェも一言。
当のサスケは気にした風もなく、皆の一歩前を歩いていく。
「いっそのことサクラ一人で就けよ。押しかけ女房よろしくそのままの流れでいっつもお前が言ってるうちはのお嫁さんの夢が叶うんじゃねぇの」
好きにやってくれ、と吐き捨てたシカマルの言葉が理解できない。
「いや! それはダメだサクラちゃん! サスケが何すっかわかんねぇもん!」
自分はうちはサスケに対しての好意を、内外ともに公かにしていたのだろうか。
シカマルの言うことも、ナルトの言うこともさっぱり理解できない。
「? サクラちゃん、どうしたんだってばよ。さっきも黙ってたし、どっか悪いんじゃ・・・」
「そんなんじゃ・・・!」
面を上げ、頭を振る。
その合間に一寸様子を伺った黒髪の彼は振り返ることもなく先を歩いていた。
優しくない人なんだ。
何より、サクラに興味を持っていない。
背を向けられている事実に無性に泣きたくなってくる。
一緒にいたという人間が、まっさらなほど記憶を喪失していた。
そういう現実にありながらも動じることもない。詰ることも、追及もなかった。
むしろ、それでいいと言うように情報を塞き止められる。
ふと、今朝の目覚めで感じた喪失感に似た虚無が胸を過ぎる。
(あぁ、これは)
何も言わない彼に。
昏い瞳はサクラを見ていなかった。
(向けられる嫌悪感、だ)





「じゃ、任務内容の確認だ。第一段階、砂隠れが襲撃を受けた毒のマニュアルの作成と分布。第二段階として砂隠れを襲った集団の撃退、もしくは根絶・・・以上!」
シカマルが手馴れた仕草で門番に点呼を知らせ、出立を促す。
知ってる、とサクラは思う。
シカマルの所作もナルトとの今までの任務も。
覚えているし、知っているものだ。
これ以上はないと思う。
砂隠れに入国するまでのルートを確認し、シカマルの布陣に肯く。
たとえ記憶が一部欠如していようとも―――サクラにとって記憶を喪失しているつもりもないわけだが―――任務自体に支障を来たすわけではない。
今までも、初対面の忍とチームを組むことも少なくはなかった。
いつもよりも少し早めだと思う移動スピードは、先頭をうちはサスケが担い、ペースを掴みきれていないからなのだろう。
サスケの後ろ姿を追いながら、そう判断する。
視覚は追いきれているのに、息が上がる。
長く暗い森を掻い潜るうちにスピードも緩まり、いつもならば半日で抜けることのできるところを、日が暮れる前に森を抜けることができなかった。
ふと、サスケがクナイに手を伸ばして先を制す。
「来るぞ」
サスケの一言に、シカマルが布陣を散布させる。
サスケが火遁を操り、最前の敵を散らせ、ナルトが敵陣に突っ込んでいく。
敵の数を探ろうとチャクラをトレースするにも、霧が掛かったように集中できない。
チャクラを手のひらに集めて手裏剣を弾こうとした時だった。
(―――――え?)
手のひらにチャクラを感じないまま、一枚の手裏剣が手のひらを抉った。
「バッカ、お前! 何やってんだ!」
シカマルの影真似の術に引きずられるように、敵から間合いを取られて次々と襲い掛かっていた手裏剣から逃れることはできた。
影縛りを解かれ、自力で充分な間合いを取ってから手のひらに突き立った刃を引き抜く。
チャクラを集中して止血しようにも、巧くコントロールができない。
「もう・・・っ! なんなのよ!」
ヤケクソに近くチャクラを右手に集めて基本技術で治療に励む。
遠くでナルトが自分の名を呼ぶのが聞こえた。
そしてすぐ傍でバチリと青白い火花が散って、初めて敵の気配を知る。
仰ぎ見たその先には、黒装束の背にうちはの家紋。
対峙していた覆面の忍はそのまま崩れ落ちていった。
ふと、一年前に里が組織から襲撃を受け、壊滅状態に追い遣られた記憶が脳裏を掠めた。
(あれは、なんだった・・・?)
黒髪から垣間見た紅い瞳。
青く迸る“雷斬”。
剥き出しの殺気。
(わたし、殺されるはずだった・・・?!)
『ことあるごとに犯していた―――――』
彼の言葉を思い出す。
そして見据える黒い瞳。
―――――捕まっていた。
「わたし・・・!」
身体が震える。
肘が震えて手のひらがブレる。手のひらを握りこんで震えを留めようにも、握力すら馬鹿になって身体が言うことを聞いてくれない。
「あ、おい・・・!」
突然震え出したサクラに、シカマルが覗き込んでその手をとる。
震えを止めようと自分の身体を抱しめようとするが、握力すら侭ならず震えは大きくなった。
膝に力が入らず、その場に跪く。
「サクラちゃん・・・?!」
ナルトに支えられ、蹲るまでは免れた。
(あの人)
震える手をナルトが握り返して、ようやく震えが納まる。
人肌のぬくもりに安心して、途惑うナルトに構わず纏わりついた。
サクラを見据えた漆黒の瞳。
“何か”を見透かされている。
あの瞳に捕まってはいけない。
きつく瞳を瞑って振り切る。
(怖い)
震えるサクラの肩をナルトの手のひらが優しく触れた。
そうすることで抱しめられているとは気付かず、そんなナルトとサクラを見遣ってシカマルが立ち上がった。
「まぁ、とりあえず」
シカマルは、それは面倒くさそうに頭を掻いた。
それでも一歩前に出る。そうすることで、シカマルの背後にサクラが隠れた。
どうやら面倒くさい場面に居合わせてしまったと思ったのだろう。
シカマルの薄い唇がへの字に曲がった。



「この状況からして“なんでもない”ってシチュエーションじゃねぇなぁ」





ブラウザバックプリーズ





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