―――――これ以上。











瞼に当たる白い日差しで目が覚めた。
ぼんやりとした思考回路で探るように記憶を廻らせる。何かを忘れているような気がした。
いつも、ごく自然に行っている日課のような何か。
(―――――なんだっけ)
昨日、長期任務から戻ったばかりだったはずだ。
柔らかな寝台に横たわって眠るのは久しぶりのこと。
任務が過酷だっただろうか。
伸びをしようと腕を伸ばしかけたところで身体の節々が悲鳴を上げる。
何より、あらぬことか下腹部に酷い違和感があった。
違和感というよりも、異物感。
どういうことだろうか。
春野サクラは混乱した。
そういえば昨日の任務完了から木の葉に戻った後の記憶が危うい。
木の葉に着いて、それからどうしただろうか。
鈍痛に耐えながら身を起こす。
手を突いたシーツはサクラ以外の体温は保っている。
どういうことか。
肌触りのいい浴衣を纏っていたが、記憶のないものだ。
何より、この部屋はどこなのだろうか。
室内の湿度や温度、窓の外からうかがえる雲の動きから、木の葉であることは間違いない。
しかし、記憶にないものばかり。
春野サクラである認識はしている。
今日の召集時間は何時だっただろうか、召集場所はどこだっただろうか。
(ナルト、カカシ先生、いの)
(綱手さま、シズネさん、シカマル、サイ・・・)
一つ一つ、当たり前のことを確認するように記憶を辿る。
日課としていたものを忘れているような。
もしくは、絶対に忘れてはいけないことを忘れているような。
約束したことなのか、眠る前に思いついたことなのか。
どこかすっきりしない。
日常過ぎて思い出せないのだろうか。
何より、下腹部に残る鈍痛の因果に思い当たりがない。
浴衣に隠れる皮膚を確認するには勇気が湧かなかった。まだ頭が回っていない。
今ある現実についていけていないのだ。
ガチャリと扉が無節操に開く音で振り返る。
同年代の“見知らぬ”少年が現れ、僅かに身構える。
浴衣しか羽織ってないのだ。
胸元の袷を握り締めて、もう片方の拳にチャクラを集中させる。
少年は立っているだけにも関わらず、隙一つないことがわかる。同じく忍びだろうか。
木の葉では見ない顔だと、記憶を辿って再認識する。もしくは、暗部か。
引き締まった唇は、彼が寡黙であることを思わせる。
黒い髪。
その黒髪の狭間から覗く黒い瞳。
象牙色の肌に整った顔立ち。
派手ではないが、惹きつける何かがあった。
(・・・サイに似ている)
それでも、サイではない。



「誰・・・?」





*





里の裏を通って駆け抜ける。
膝が上手く噛み合わず、下腹部にいつまでも誇示する異物感はサクラの動きを鈍らせた。
それでも全力で自宅に戻り、そのまま脱衣所に駆け込む。
幸いにも早朝だからか、両親が出迎えることはなかった。
先ほど身に着けたかばかりの衣類を脱ぎ捨てる。
シャワーのコックを思い切り捻る。
勢いよくシャワーがサクラに降りかかる。
頭からお湯を被って、皮膚感覚を熱で拭い去りたかった。
腕や胸や腹部―――内腿に到るまで、鬱血の痕がサクラを犯していた。
着替えの際には気付かなかった。
嫌悪感よりも恐怖がサクラを襲う。
指が悴んで身体が言うことを利かない。
あまりにも日常からかけ離れた一日の始まりだった。





―――――あの後。名乗られることもなく黙ってサクラの衣服を渡された。
まるで何事もなかったように。
途惑うサクラをそのままに、彼は無言で部屋から出て行った。
サクラといえば。
身支度を整えると、声を掛けることなく部屋の窓から出て行ったのだ。
(だって、なんて声をかけたらいいか、わからないじゃない・・・)
言い訳のように独りぐちる。
とりあえず“誰”であることなのかを知りたい。
敷地内から外へ出るとき、重圧な門構えに負けないどっしりとした表札に「うちは」
とあった。
うちはは―――――たしか特別警視部を立ち上げた家系だったはずだ。
サクラが幼い、まだアカデミーに入って間もない頃に事件か暗殺かで息絶えた家系だと記憶している。
なぜ、そのようなところに自分は、見ず知らずの少年と夜を過ごしたのか。
もしくは、朝を迎えたのか。
下腹部の異物感が拭えない。
見据えてきた少年の黒い瞳を振り切るように眼を瞑る。
秘密ができた。
誰にも言えない。
泡立てたシャボンでいくら擦っても、皮膚に固執した赤い鬱血の痕は消えることなくサクラを苛む。
俯いた先で、排水溝にお湯が飲み込まれていくサイクロンがいつまでも続く。
執拗にシャワーを当てて、湯は皮膚を伝い落ちてタイルに溜まっていく。
それでも柔らかな箇所に残された痕を消すことはできなかった。
サクラを見つめた、あの一瞬の漆黒の瞳が忘れられない。
行きずりで“そう”なったのだろうか。
まさか。
そんな。
たとえそうだとしても、綱手の元に就き、暗部を含め木の葉で知らない人物などいないはずなのに。
不覚。
自分を不信に思えてならない。
こんなこと、今まで一度としてなかった。
それがサクラを苛む。
シャワールームから出て、柔らかなバスタオルを頭からすっぽりと被る。
皮膚に沈着した痣の痕はタオルで擦っても消えることはなく。
昨日、木の葉に戻り任務から解放された後の記憶が全くないだなんて。
不意に窓の外を黒い影が過ぎった。
烏が空を大きく旋回――――火影からの召集合図――――していたのだ。
(忘れよう)
身体の節々を苛む疼痛はサクラの動きを苛んだ。
が、専念しなければならない。
身支度を整え、表に出る。
自分に暗示をかけるように、なんでもないことのように腕を伸ばした。
(元々知らないことなんだし、忘れよう)
18歳になった今として、意図的ではなく結果的にではあるが処女だった。
ほとんどのくの一は任務で情事に到ることが多い。
むしろ今まで一度としてそういった任務に就くことのなかったのは奇跡に近いのだろう。
いずれ喪失するものだ。
(知らない男の子だったけど、カッコいい子だったし、そう思えば)
頭を振る。
どうってことない、と思い込むことにする。
(昨日のわたしと今日のわたしの何が違うって、何も違わないじゃない)
だから。





*





「久しぶりじゃないの、サクラ」
「昨日帰ってきたのよ」
綱手から渡された処方を手に資料保管庫へ向かう通路で、イノとすれ違った。
「一ヶ月くらい任務に就いてたんじゃないの? 今日から通常任務? 相変わらず綱手様人使い荒いわねぇ」
「・・・ん」
身体も疲れているが、それよりも考えに浸る時間を削ぎたかった。
だからいつも通りとはいえ、綱手からルーチン業務を言い渡されたのは助かった。
落ち込まずに済む。思い出さずに済む。
「・・・どうかしたの? 随分おとなしいじゃない」
「え、別に・・・」
言えることじゃない。顔を背けることでこの会話を終了させる。
イノはひっかかってはいるのだろうが、適当に相槌を打つだけで特に詮索してこなかった。
こういうときに、さっぱりした女の友情は非常に助かる。
「ま、なんでもないならいいんだけど―――――あ! サスケくん!」
イノがサクラを通り越して、遠くの少年に向かって立ち上がる。
まるでイノのものとは思えない高く甘さを含めた声色。
その手をかざした先にいるのは―――――黒髪と漆黒の瞳の少年。
(あの子・・・!)
イノが少年に近寄り、まるでサクラに見せつけるように腕を組んだ。
「サスケくんが資料棟まで来るの、珍しいわね! 私が一緒に探してあげる!」
サスケ。
聞き覚えのない名前だ。
媚びるようなイノの声色は気に入らないが、少年の眼差しは今朝のものとは違って、どこか尖ったような空気は醸し出していない。別段、雰囲気が柔らかいというわけでもないが。
絡みつくイノを何事もないように腕を振り払おうとするが、手馴れたようにイノがさせまいと少年の腕を再び取った。
まるで慣れた遣り取り。
イノの想う少年なのだろうか。
そうだとしたら彼の家で目覚めたこと、今朝の出来事、どうすればいいのだろうか。
サスケと呼ばれた黒髪の少年は一寸たりともこちらを見ようともしなかった。
イノがちらりとこちらを伺ってきた。片眉を上げ、見せびらかすかのようだ。
もしかして、相愛の彼なのだろうか。
そうだとしたら、今朝のことはどういうことなのか。
「ちょっと!」
少年に絡まるイノの腕を引っ張り、耳元で囁く。
なによ、とそうされることが当然のように、イノはサクラに耳を貸してきた。
なんと聞けば良いのか。
僅かに視線を落として、根本だけを抑えるべく問い掛ける。
「イノの知ってる子・・・?」
サクラのその一言に、イノの声が天井に響いた。





「記憶喪失ってこと・・・?」
「記憶喪失じゃないわよ。
“あの子”を知らないだけで、他は覚えてるんだから」
不可思議に眉を顰めるイノに、サクラはそれこそ不本意のように口をへの字に曲げた。
イノは絶叫を上げた直後、硬直し、動いたと思えばサクラの腕を取ってすぐ傍にあった資料庫へとサクラを連れ込んだ。
何か自分は触れてはいけない領域に触れたのだろうか。
ただでさえ不安定な気持ちに、負荷がかかる。
本当に、彼は木の葉の忍なのかと聞くだけのこと。それが聞けない。
イノは何ともいえない表情のまま少年が“うちはサスケ”であることを教えてくれた。
今朝、振り向き様に見た表札と一致している苗字。
間違いではなかった。
うちはの末裔は彼一人だという記憶も間違ってはいなかった。
今朝の少年と、この少年が同一であることも間違いではないようだ。
「でも、どうして・・・?」
「? 何が?」
「いつから、サスケくんの記憶がなくなってるの?」
「いつからって・・・」
彼の存在自体を知ったのが今朝だ。
昨日までは長期任務に就いて里から離れていた。その間、彼と接触があったようには思えない。
その前も一緒にいたらしいが、昨晩のことなのか、今朝方のことなのか。
何より、自分の貞操観念を知らせることはできなかった。
「し、知らない・・・っ」
顔を背けたサクラの額をイノの指が小突いた。
「なんか隠してる」
それこそどうしたの、とイノが手のひらをサクラの額に当てるほどのことで。
―――――記憶を喪失することなんて、有り得るのだろうか。
しかも、たった一人の人物だけを。
最初は乗せられているのだと思った。
ナルトやイノが適当なことを言っているのだと。
“知らない”のだ。本当に。
認識しているからこそ“覚えていない”となるのではないか。
何より、なぜ特定一名だけの記憶だけが抜け落ちているのだろうか。
ナルトやイノに執拗に設問されたが、言えるはずがない。
少なくとも、記憶にすらない“うちはサスケ”という人物と情事に到っているだなんて、到底。
言うに言えず、唇を震わせるサクラにイノは焦れたそうに口をへの字に曲げた。
「本当にもどかしいわ。アンタたちって成長してるようで成長してないし、進展してそうで進展してない。13歳の頃のままじゃない」
もどかしげなイノの口調に腹が立つ。
知らないものは知らないのだ。
人の気も知らないで、とも思う。
第一、なぜそこで13歳に固執する理由すら分からないのだ。
「しかも、記憶喪失って何?! 13歳の頃より退化してるんじゃないの! だいたい・・・」
「山中」
通るテノールがイノを呼んだ。
“彼”だ。
薄暗い資料庫でイノとのやり取りの間に入ってきた。
きっと最初から聞いていた。
そうでなければ、サクラが知りたい情報の一歩手前で断ち切るようなそんな。
「“知らない”ことを教えなくていい」
サクラのことを言っているのだ。彼はこちらを見向きもしないのに、それでもわかる。
彼はイノのことを知っている、それだけで劣等感が胸を苛む。
「でもサスケくん・・・!」
サスケは漆黒の瞳で一寸イノを見咎めて言葉を留めた。
イノが言い淀むほど、イノとサスケの間に何かしらの関係があるのだ。
疎外感が胸を重くした。サスケという一人の少年以外は認識しているというのに。
たった一人の存在を知らないだけで、こんなにも世界が変わるものなのだろうか。
イノが黙り込んだのを確認して、サスケが背を向けた。
その背中がまるでサクラから逃れているように思えて、たまらなくなった。イノを残して踵を返す。
追いかけることに迷いはなかった。





「あの・・・っ!」
黒髪の背中を見つけ、追いかける。
どう声をかけて良いのか分からなかったのだ。
以前、どのような敬称で呼んでいたのかすら、全く。
気付きながらもまったくこちらを見向きもせず前を進もうとする少年に焦れて、足を速めて行く手を阻む。
「あの、」
サスケは僅かに眉を上げるだけで、表情は変えなかった。
今朝と同じ。
彼にとってどうというわけでもなかったのだろうか。
そう思うとサクラの中の探究心が怯んでしまう。
「・・・覚えてなくて、ごめんなさい」
いや、と短く返される。
こちらを見向きもしないことに、胸の奥が詰まる。
「サスケ・・・くん、に、聞きたいことあって」
今朝、うちはサスケと教えられたこの少年の部屋で目覚めたこと。
身体に残された痕跡。
それでも何事もなかったように交わされた会話。
何より、サクラを蝕む疎外感と彼を知らない劣等感。
「わたし、サスケくんのこと」
「気にするな」
言葉を遮られ、瞬くことしかできない。
「お前にとって、俺に関する記憶がなくなろうと支障はない」
責めるでもなく、ただ、淡々と告げられる今の現実。
今、目の前にいる少年の記憶が全くない状態であっても何の支障も来たしていない。
生活に支障あるわけでもない。任務に携わるわけでもない。
「そういう存在だってことだろ」
指摘され、言葉が出てこない。
たしかにそうだ。
任務にも、日常生活にも関与してないのだろうか。
果たしてそうなんだろうか―――――。
しかし、この少年は深くは語ってくれそうにない、そんな気がする。
どうしたらいいんだろう、サクラは途方に暮れた。
「ただ一つ、お前が俺の記憶を消した理由なら教えてやれる」
俯いて、黒髪が影を落としてサスケのその表情を伺うことはできない。
それでも自嘲気味に口端が上がっているのが見えた。





「―――――事あるごとに俺がお前を犯していた。それをお前は受け入れたくないんだろ」








ブラウザバックプリーズ





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