バサリ、と布擦れの音が二人きりの空間を覆った。
火影から下された命の後、サスケがサスケを連れ立ったのは待機室の一室だった。
一間に簡易ベッドがあるだけの、ただ仮眠だけに宛がわれた照明すら付属されていない簡素なだけの空間。
薄暗い室内で黒の装束が床に広がる様に緊張して、サクラは思わず視線を落とす。
一寸視界に入った上半身裸のサスケの左胸には、数か月前にサクラが施した呪印が刻まれていた。
―――――非道だ。
サクラは自身が行った非道なる術を改めて突き付けられて、罪悪感に心を黒く塗り潰される。
それでも。
これから解放する呪印を思うと、喪失感に心が凍えた。
自己欲の深さに背徳感に苛まれながら指先で、サクラの白さとは違うサスケの白い素肌に触れる。
左胸に刻まれた呪印をなぞると、手首を掴まれ距離を縮められた。
「・・・変な気起こすなよ」
「も、もうしないよっ!」
サクラの切り返しにサスケは小さく笑って、捕えた白い腕を引き込みながらサスケは簡易ベッドへダイブした。





―――――充分だ。
後悔は、充分した。
悔やまれることしかしてこなかった。
“もしも”や“だったら”などという仮想空論にひどく苛まれ、遠回りばかりをしてきた。
後悔して後悔し尽くして、リセットできないことも改善されることもないことを思い知った。
だからこそもう間違うことはないと、木の葉に戻った時に誓ったはずだった。
うちはサスケは幾度も口腔で繰り返す。
充分だ、と。










「―――――サスケくん・・・?」
呪印を解いた直後、衝撃に耐えきれなかったようでサスケは意識を失った。それだけ身体に負担を掛ける術式だったということだ。
しかし薄い唇は緩く呼吸を繰り返し、眉間に苦悶がないことからサクラは小さく息を吐いた。
終わった、と。
フローリングの上にへたり込む。
喪失感なのか、安心感なのかわからないけれども、サクラの心を虚無だけが埋め尽くしてもう何も考えられない。―――考えたくない、と俯く。
「―――――・・・っ」
大きく息を吐出す音を聞いて顔を上げると、サスケがゆっくりと寝台から身を起こして、つい先ほどまで自身に刻まれていた呪印を確認した。
目視だけでなく、呪印があった場所を手のひらで触れてみたりしている。
遺されたのはケロイドだけで、サスケを拘束していたあの呪印はもうない。
「・・・どこか具合悪いところとかない?」
いつまでも黙っているサスケに、サクラが静かに問う。
サスケは頭を振って意思表示をした。
漆黒の瞳をサクラに向けると、僅かに眉間を寄せた。
そして無骨な指をサクラに伸ばして、その頬に触れる。
「何故、泣いている・・・?」
え、と息を詰めるようにサクラが動揺する。
言えるわけない。
先日、八つ当たりのように告白したのは最後の悪あがきだ。今更、言えるはずない。
サクラはきつく口を噤んで頭を振る。
「今お前が泣いている理由が俺のせいなら」
言って、サスケは言葉を切った。違う、と小さく否定をして。
「・・・俺のためなら」
漆黒の瞳がサクラを捕える。
「―――――全部、やる」
「・・・え?」
何を、と問い返した。
声が掠れる。
サスケが身を屈めて、サクラに向き合う。
その漆黒の瞳に映し出されるのは。



「お前の全部を俺にくれるなら、俺の全部をやる」



サスケは緩慢な動きで自身の心臓の上を拳で叩いた。まるで忠誠を誓うようなその洗練された動き。
「お前の呪印がなくても、誓える」
「だめ、だよ、サスケくん・・・」
この猟奇的な独占欲は尽きることなどない。
サクラはもう一度、だめだと頭を振った。
「わたしを許したら、だめだよ」
「俺が欲しがるものを奪う権利は、お前にはないだろう」
言い放ったサスケは、挑むようにサクラを見上げた。それに、と続ける。
「俺は好意を伝えるだけで終えるつもりはない」
サスケの告白に、サクラは耐えきれずに嗚咽を漏らした。瞬いて、その拍子にぼろりと涙が零れる。
その涙を掬うように骨ばった指先が頬に触れて、頬を撫でる。
「わたしだって、ずっとサスケくんを抱きしめたかったし、キスしたかった! サスケくんは誰のものでもないけど、大蛇丸が呪印を遺したみたいにサスケくんの一部分だけでもわたしの痕跡遺したかった!」
一息で全部を吐出したサクラの震える唇をサスケの指先がなぞるように触れて、離れた。
サスケはベッドに改めて寝そべると、覆いかぶさるサクラの腕を強引に引いて抱き寄せる。二人の体重を受けて、ベッドがギシリと乾いた音を立てた。
突然のサスケの手管に小さく悲鳴を上げたものの振り払えず、サクラは仰向けになったサスケを押し倒すような体勢になった。
触れる体温が熱い。
僅かに身を起こすと柔らかく吐息が絡んで、静かに呼吸を繰り返す薄い唇が愛しい。
ひどく艶のある漆黒の瞳に見上げられ、サクラの心が跳ねた。
「来いよ」
こんなにも至福でいいのだろうか。
サクラは思う。
落とされたって、貶められたっておかしくないのに。
浅ましくも醜い感情に脅かされた日々は、いつの間にか痛みすらも快楽や至福へと向かおうとしている。
涙をこぼして微動だにできずにいるサクラをサスケが笑った。
僅かに口角を上げるだけの、ささやかなそれ。
幼少の頃から憬れていた頃から変わらない、いつからか自嘲味を含んだそれは姿を消して、サクラが恋をした頃の、彼のそれ。
その一瞬、刹那の表情。きっとサクラしか見つけていないと思える、ほんの一寸の表情ではあるのだけれど。
ぼろぼろと頬を伝い落ちていく大粒の涙を骨ばった指先が拭い去り、瞼ごとをぐいぐいと乱暴ではない仕草で擦られる。
涙に濡れた頬が冷え切っているのを知ったのは、サスケの掌がサクラの頬に宛がわれた時だ。
その体温。触れ方。
まるで体温を分け与える様に、ゆったりと撫でてまるで愛でる様に。
その動きで頬に残った涙の跡は拭い去られた。
けれども未だ震わせる横隔膜を留めるには至らず、しゃくりあげた白い顎を無骨な指先が捕える。
やはり泣いているサクラをサスケが笑った。
サスケが僅かに身を起こすと、二人の鼻先が当った。サクラは首を傾げて近づいた端正な面を迎えるように瞳を閉じる。
どちらともなく重ねられた口付けは、涙の味がした。










「よ―――っす! サスケェ!」
火影塔を出たところで、突き抜けるような能天気な声が木の葉の空に響いた。
ナルトだ。
サクラはサスケの後ろに付いて歩いていたため、その黒装束のうちはの家紋を背負う背中しか見えなかったが、背後から顔を覗かせるとこちらに向かってくるナルトとシカマルが見えた。
先日サスケとサクラが途中離脱した砂隠れでの任務から戻ってきたばかりのようで、背中には荷物を背負ったままでまだ自宅にすら戻れていないのだろう。
シカマルはサスケの後ろにいるサクラに気付いて、軽い目礼だけで火影塔へ入っていった。
ナルトは留まり、サスケに走り寄ると傍らにいるサクラを見つけて、ナルトが声を上げる。
「あっ! サクラちゃんも・・・」
黒装束の背中はうるさい、と返した。
サクラの謹慎の話を耳にしたのだろう。ナルトが何とも言えない表情を見せて言葉を詰まらせた。
その沈黙はナルトの優しさだ。
サクラは苦笑して、一歩踏み出すとナルトの肩を小突いた。
「なんて顔してるの。里の命に逆らったのに五日間の懲罰で済んだんだから・・・ありがたいものでしょ」
首を傾げて見せると、ナルトはしぶしぶと言ったように頷いた。
正直ナルトがどこまで事の顛末を把握しているかは分かりかねたが、今ある事実は“サクラがうちはサスケが復帰するにあたり里が規定を設けたチャクラのリミッターを施さなかった”ということだ。
里もサスケすらも欺いたサクラの呪印は、すでにサスケの躰にはもうない。
ふと、ナルトの視線がある一点で留まった。そして改めて凝視して、顔色を悪くさせる。
「うっわ! サスケ、なんだそれ?!」
サスケの装束の襟から僅かに覗いた酷い鬱血―――白い肌に露わに残る薄い血痕と根強い鬱血の痕跡にナルトが目を瞑る。
何でもないように襟ぐいを直して、サスケは愉悦に浸るよう口角を緩く持ち上げた。
「なんでもねぇよ」
気にした風でもなく、颯爽と踵を返す。
なんでもなくないだろ、と小さく突っ込んだナルトは痛そうな色に頬を引き攣らせている。
「何だぁ、アイツ? ・・・なぁ、って、サクラちゃん・・・?!」
サスケが去ったと同時に、突如うずくまるようにしゃがみ込んだ細い躰にナルトが声を上げる。肩口までもを真っ赤に染めたサクラが。





―――――ナルトがその真意を知るのは、もう少し先の話。








ブラウザバックプリーズ





SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送