白い光が瞼に当たり、目が覚める。
肌に触れる冷たいシーツの感触が心地よかった。
サクラは瞬きを繰り返し、昨晩の蛮行を思い返す。
身体の節々を苛む鈍痛を振り切って身を起こすと、自分に与えられた部屋だった。
室内は陽光により白く光り、外は昨晩の嵐が雲を吹き上げ真っ青だった。
サスケの名を呼ぶ。
もう一度、届くように。
無音。





さよならの朝だった。











熱いシャワーを頭からかぶる。
桜色の髪が水気を帯びて、サクラの視界を覆った。
シャワーのコックを握りしめながら、手首のチャクラを封じる呪印を眺める。
その呪印を消すように施された赤黒い鬱血の痕。
その一つ一つにサスケの苛立ちが現れているようで、その痕を見つけるたびにサクラの心は絶望に追い遣られた。
脱衣所で浴衣を外した時、鏡に映った自分の姿に怯んだ。
赤黒い鬱血を至るところに散らされ、酷く、痛々しい痕跡。
治癒しようと指先にチャクラを集めようとして、全くチャクラが練れないことに封じられていることを今更ながらに思い知った。
両手首に未だ残るチャクラ孔を封じる呪いの痕を眺めた。
―――――もし、チャクラを封じられていなかったとして。
―――――果たして自分はサスケを拒絶しただろうか?
サクラは思う。
こうなることは有り得ないと思いながらも、淡い期待を捨てきれずに望んでいたのは自分だと。
自分の執着を侮っていたのは自分自身なのだと。
―――――だから、これは自己責任なのだ。
分かっている。判っている。
だからこそ、サスケが触れた皮膚に未だ残る感覚を殺ぎ落とすべく、熱いシャワーを浴びつづけた。
部屋の外に人の気配を感じて、シャワーのコックを細める。
掛けられたテマリの声に応えた。
弱くなったシャワーの水圧により、再び肌がサスケを求めるように疼くのを―――断ち切るようにシャワーのコックをきつく締める。
一滴が足元に溜まった水面に波紋を作った。
ぴたん、と。





着替えに用意されたのは、薄手の浴衣だけだった。
“万が一”の暗殺も考慮されているのだろう。
チャクラも練れない、忍装束でもない、本当の丸腰での嫁入りだ。
仕度を整え、部屋を出たところでテマリとサスケが恭しく膝を突いていた。
「形式だけだけどな」
テマリが悪戯っぽく八重歯を見せて笑った。
テマリの隣りで、サスケは無言だった。
伏せた漆黒は既にサクラを見ることはない。
風影の妻となるとあらば、こういうことなのだ。
テマリとも、サスケとも違う、“捩れの位置”に立つことになる。
最初から。
出逢ったときから、重なることはなかったのだ。
今まで幾度か併走するかのように重なったことが奇跡だったのだ。
だから。
これ以上の至福など有り得なかったことを知っていたからこそ、完全なる別離を歩んだのに。
木の葉にすべてを置いてきたつもりだったのに。
粘着性の強い執着で、前に進めない。振り切ることも出来ない。
違う環境に居ようとも、この世界のどこかにサクラが求める対象が存在していることを知っているから。
(殺しておけばよかった、な)
ふと、サスケが里抜けした夜を思い返した。
サスケに纏わりついて、瀕死の状態で帰ってきたナルトと、気を失わされるだけだった自分。
サスケにとって、サクラは何の障害にも至らなかったのだ。
そして納得する。思わず乾いた笑いが零れた。
(―――――だから、わたしは殺されなかったんだ)





テマリに促され、乾いた色をした土塀で作られた扉の奥へ進む。
真っ青な空を映す窓の手前、わずかな逆光に渋赤の短髪がゆっくりと振り返る。
風影――――砂の我愛羅。
「遠いところを不躾な召集、失礼した。重ねて、昨晩も砂嵐に足止めを喰って早急に出迎えられずに申し訳なかった・・・」
ゆっくりとした口調で我愛羅の声が綴る。
今の我愛羅に以前のような無機質な声色は一切ない。むしろそれは穏やかなくらいで。
「―――――春野サクラと、二人に」
御意、と頭を垂れてサスケとテマリが室内から去った。
パタンと音がして、我愛羅とサクラだけの空間になる。
窓際に立っていた我愛羅がゆっくりとデスクに両腕を着き、サクラに向き合った。
「若輩者の俺に、里の老人たちがあれこれ心配を施しすぎて今回の件に至った。里の者として秀でた家系を里に築きたいのは当然のことだが、“里からの召集”という圧力によりお前を苦しめただろう。・・・悪かった」
頭を下げる渋赤の短髪に、ふるりと頭を振る。
声を出さなければ、と唇を動かすも肯定も否定もできないことに思い至って、結局口を噤んだ。
そのサクラの様子に、我愛羅は薄く微笑むだけだった。
「・・・これは火影に宛てた書簡だ」
デスクに置かれた書簡には“盟約の印”が撞かれていた。
このタイミングで、盟約の書簡をサクラに託す意味を汲みかねて気後れする。
「今後、他の里から花嫁候補を召集しないよう記している」
我愛羅の言葉を理解できずに面を上げる。
色素の薄い瞳と克ち合って、それでもその真意を汲み取れない。
躊躇いがちに、サクラはどういった、と疑問を唇に乗せた。
「俺は幼少の頃からヒトとして扱われてこなかった。風影となった今、里の方針という名目でどう扱われようと、里のためならば享受する思いではある。だが、お前は違う。チヨばあは、お前に“大切な者を守れ”と言ったのだろう?」
チヨばあの最期の言葉を思い返す。
幾度も幾度も覚悟をねじ伏せたサクラを苛む、老女の最期の言葉。
いつだって大切な“仲間”を守りたくて必死だったのに、サクラの能力など誰の、何の足しにすることができなかった。
幼少の頃から今までずっと挫けている事実がサクラを責め続けて、痛感する己の無力さに表面張力一杯の涙が翡翠に溜まる。
そんなサクラの様子に、我愛羅は頭を振ってそうじゃない、と諭した。
「もし俺とお前とで新しい砂隠れを築いたとしても、それは俺の母親のような民の犠牲を出すことになる。俺の母親は、里の思惑に殺された。里の長となる者は同郷の者を守るだけでなく、あらゆる民を守るために“長”の役目はあると―――俺は認識しているだからこそ今回の里の決定を覆すことで“俺の正義”と取ってはくれまいか・・・?」
違う、とサクラは頭を振る。
違う、違う。
「わたしはずっと守られていて・・・、守られ続けていて! だから、わたしは覚悟して・・・っ!」
「その覚悟は“今”使うものではない。チヨばあが守ってやれという真髄を汲み取れ」
図星を刺され、胸奥を走る疼痛。
いつだってそうなのだ。
自分の考えが到らないことで、誰かを傷つけ、何かを失ってきた。
だからこそ、今回は失う前に自分から振り切って来たというのに。これ以上のものがあるはずがないことを知っているから、木の葉にすべてを置いてきたというのに。
どこまでも利己主義でしかなくて、サスケから逃げたくなったのも事実。
自分の想いだけが重たくて、これ以上の重圧に自分が耐え切れなかったのも事実。
それだというのに、未だサスケへの想いを断ち切れていない自分の弱さがつらい。
ひたりと頬に温かなものが触れ、自分の涙で頬が涙で濡れていることを知った。
我愛羅の色素の薄い瞳がサクラを見据え、ゆっくりと頬を拭ってくれる。
自分が傷つかないためだけに、残忍にもすべてを斬り捨ててきた自分に、こんなにも世界は優しかった。
声を上げて泣きたいのを堪え、胸が震える。
「俺は風影である以前に、一人の人間であって一人の男だ。化け物として扱われていた俺が人間として扱われ、風影となってから里の者からの信頼を受け、いわゆる“普通”と呼ばれる日常を過ごせるようになり欲張りになった。こんな俺にもいずれ想う人間が現れ、家族を築く。そんな一般的な夢を抱きたくなった」
小さな夢だろう、と口端に笑みを刻んだ我愛羅に、サクラは否と言うしかない。
「とても・・・とても、難しいことです」
想うだけではとてもじゃないけれども達成しない、一人だけでも成就されない、その虚しさももどかしさもサクラは充分に知っていた。
そのようだな、と我愛羅は苦笑した。
「―――うちはサスケを!」
一拍置いて、我愛羅は扉の向こう側へ声を上げた。
瞬身の速さでサスケがサクラの傍らに跪く。
思わず涙に濡れた翡翠をサスケに向けると、漆黒の瞳は我愛羅を射止めた。
「木の葉の花嫁をお返ししよう」
我愛羅の言葉に、サスケは目を眇める。
そのサスケの様子に我愛羅は眼を細め、何でもないことのように未だ手にしていた書簡をサスケに差し出した。
「春野サクラと共に、火影殿にこの書簡を」
サクラが受け損ねていた書簡を、サスケが無言で受け取る。サスケは書簡を一寸手のひらで弄んだが、書簡を帯に詰めた。
何時の時も任務の“理由”を忍が知る必要はないのだ。
サスケは手早く腰帯を締め直して、我愛羅に向き合う。
「確認する。―――――“春野サクラを連れて行く”のではなく“春野サクラと共に帰国する”んだな?」
「今回は里の上層部だけで決定した勝手な盟約だ。年寄りの助けがなくとも自分の花嫁くらい自分で見つけられる」
口端を上げた我愛羅に、サスケは小さく舌打ちをした。
そんなサスケに、我愛羅は喉奥でクツクツと笑いを噛み殺した。
「・・・それにしても、よく泣くな」
未だ表面張力一杯の涙を溜める翡翠を見かねて、我愛羅の右手がサクラに伸ばされる。
迫る白い手のひらに委ねるよう眼を瞑ったサクラを遮って、しなやかな腕が我愛羅の手のひらを弾いた。
「盛ってんじゃねえよ」
「―――“花嫁”にそれだけの所有の証を付けて、殺意丸出しでさあどうぞもないだろう」
手を弾いた主―――サスケと対峙して、我愛羅が苦笑を漏らす。
「10年経って・・・もし嫁の貰い手がいないようならまた来たらいい」
我愛羅の提案に、サクラは鼻を啜って顔を上げる。
「今のところ、俺はお前ほど気丈な女に逢ったことが無いし、そう簡単に逢えるとも思えん」
嗚咽で言葉が出ない。
もう一度きちんと発声しようと息を吸い込んだが、やはり漏れる嗚咽に飲み込まれてしまった。
涙で濡れた視界の先で、日焼けしていない我愛羅の白い面が微笑する。
こんなにも美しい人だっただろうかと改めて思う。
「一緒に居たいのなら、一緒に居ればいいのではないのか?」
切り出した我愛羅に背を向け、サスケがサクラの手を引いた。
サスケに連れられ、我愛羅との距離が開く。
別れを告げるのも、礼を述べるのも、どれも当てはまらずに会釈だけを返すことが出来たサクラが退室するのを見送って、我愛羅は独り愚痴た。
「何がそんなに難しい・・・?」





風影の部屋を出て、ぐんぐんとサスケは突き進んだ。
サクラの左手を捕えたサスケの右手が緩むことはなく、うちはの印のある黒装束を追ってサクラもぐんぐんと連れられる。
砂の建築物特有の乾いた土色。
窓から覗く青空。
サクラの手を引くサスケの漆黒の髪も、サクラの肌とは違う白い肌も、漆黒の瞳も、この里にはないものだった。
“うちはサスケ”は一人しかいないことを厭というほど知っているからこそ、そのコントラストの美しさに涙が零れた。
不意に。
サクラの手首を掴んでいたサスケの手のひらが更に強く引いて、バランスを崩す肢体を背後から精悍な腕が抱きこんだ。
力の加減などなく、まるで束縛するかのように。酷い力で押さえつけられる。
骨が悲鳴を上げて、痛みに声すら上げられずに苦渋の息を漏らすことしかできなかったサクラの耳にテノールが届く。


「―――――俺も、覚悟をねじ伏せ後悔しつづけている」


耳裏に当たる、聞きなれたトーン。それでも耳たぶを掠める吐息は荒い。
背後からの拘束により、振り向くことは叶わなかった。
僅かに身動きをするだけで、彼の硬質な黒髪がサクラの頬をなぞる。
言葉を選ぶように、サスケの吐息が幾度か掠めた。


「里を抜けて、追ってきたナルトを殺せなかったことと、里抜けする時に」


一拍、間があった。
薄い唇が小さく息を吐いた。
サクラの腹部に回されたサスケの腕に、僅かに力が篭る。


「―――――お前を殺せなかったことだ」


身体の拘束が解かれ、背後からサスケの気配が遠ざかる。
呆然と立っているだけの自分に気付いて、サクラは考える。
サスケにとって、覚悟の代償となるものの価値を考える。
ゆっくりと振り返って、一歩ほど離れた距離のサスケを認識する。
瞬いて。
サクラの翡翠と合わさるのを嫌うように、漆黒の瞳は俯いて、背いて、伸びた前髪に隠れてしまう。
―――――その瞳を知っている。
サクラは確信した。
―――――忍ぶ想いを知る人だ。
薄い唇は、耐えるようにきつく結んで。
サスケくん。
名を呼ぶサクラの声は嗚咽に塗れて、音にならなかった。
それでも声に出して呼びたくて、息を吸い込んだ弾みで涙が頬を伝った。
冷えた頬に涙が零れて、その頬に温かな手のひらが添えられる。
先ほどの我愛羅のものとは違うその温度。
心地よさにゆっくりと眼を伏せ、再び零れ落ちた涙を拭うサスケの手のひらに自身のそれを重ねて。
涙に濡れた視界を瞬かせ、向き合うよう見上げた先に、一度は逸らされたはずの漆黒にサクラの翡翠が映って。
そして。








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