夜を抉るように白い月が。











濃紺の空に三日月がくっきりと浮き出ているのを確認して、サクラは窓に背を向けきつく眼を瞑る。
幸せになりたいか、と問われることなどなかった。
幸せになりたいとも思わなかった。
“一緒”にいることが幸せだと信じて疑わなかった。
忍という職業上、幸など求むものではないことは知っていた。
人並みに恋愛をして、果たしてそれが実ることはないことも知っている。
想うことを諦めたのではなく想いの成就を求めたことはなかったと、今更ながら幼稚な恋愛をしていたのだと認識したのだ。
―――――砂隠れからの提案。
考えたこともなかった。
―――――風影との婚姻。
瞑った瞳に手のひらを当てて、思考に集中する。
(・・・断る理由が、ない)
同じことを何度となく繰り返し考えあぐね、暗い室内であかりを灯すことすら忘れていた。
綱手に用意された部屋は、火影塔の中にある通常であれば夜勤明けの忍や他国からの使役が利用することを目的とした簡易ゲストルームだった。
サクラも利用することが多々あったが、こんなにも落ち着かないのは考えあぐねても結果が出ようのない“提案”のせいか。
ふと、窓外に気配を感じて身構える。
考え事をしていたことで僅かに反応が遅れたのが悔やまれた。
反射的にクナイを構えるサクラの目の前に、窓からの侵入者は勢い良く室内へと突入してきた。
「サクラ・・・ちゃん!」
「―――――ナルト?!」
窓からの意外な侵入者に思わず声を上げてしまう。
そのサクラの口元を抑えながら、シーシー! っと青い瞳は必死に沈黙を懇願してくる。
「ナルト、なんでアンタがここに・・・」
「行こう、サクラちゃん!」
「え、行こうって・・・」
どうして。どこへ。
「シズネから聞いた。我愛羅ときちんと話そうぜ! だって、絶対こんなん変だってばよ・・・サクラちゃんのことだって知ってるはずなのに・・・サスケのことだって知ってるはずなのに、サクラちゃんと結婚なんて言い出すはずがねぇって!」
青い瞳に真摯に見つめられて気遅れする。
しかしサクラはゆるゆると頭を振る。第一、サスケは一切関係のない話だ。
「我愛羅くんの考えじゃなくて、砂隠れの意思だって綱手様はおっしゃっていたわ。そうだとしたら我愛羅くんにも“風影”としての役目がある」
「でもだからって、それでサクラちゃんが我愛羅のお嫁さんなるのはおかしいだろ?! 国の問題でどうしようもねえんなら、サクラちゃんだって綱手のばあちゃんみたいに放浪するしかねーだろ」
口早に言ってのけ、途惑うサクラの手首を体温高いナルトの手のひらが掴む。
「ナルト・・・!」
「我愛羅はイイヤツだけど! だけど、サクラちゃんは我愛羅と結婚したいなんて思ってねぇだろ?!」
子どもの理屈を直球でぶつけてくるナルトはいつまでも変わらない。
図星を指されたと、覆い隠したつもりの忍ぶ想いが露出しそうになる。
「だって」
ナルトが大きく息を吸い込む。
言わないで、と頭を振ったサクラの尊重は儚く溶ける。
「まだサスケを好きなんだろ?!」
違う、と尚も頭を振るサクラの両頬をナルトの手のひらが捉えた。
青い瞳に射られて、逸らせなくなる。それでも。
「わたしはサスケくんを好きだったけど!」
なら、と詰め寄るナルトの声を遮ってゆるく頭を振った。
「・・・好きだったけど」
ナルトの眉が怪訝に顰められた。当然だ。
サスケとの決別を覚悟した時に、一度、ナルトを欺いていた。
ナルトを好きだからと。
あの時だってナルトはサクラの思惑を汲み取ってくれて、結局サクラはナルトを傷つけた。
決して傷つけたくて嘯いたことなどないけれど、ほんの少しでも長く一緒にいられる時間を見出したくて悪あがきをした結果だった。
一緒にいて傷つけることしかできないのならば、いっそ。
(そう、いっそのこと)
サクラの胸奥を劈くような一条の光が照らした。
今まで逡巡していた思考がクリアになる。
「ナルトもサスケくんも、わたしにとっては何の代償にも代えられない大切な仲間だから。第七班で一緒に組めて、サスケくんが里に戻った後も一緒にスリーマンセルが組めて・・・不謹慎だけど、幸せだったよ」
投影写真のように七班で過ごした日々が脳裏を掠める。
ナルトと。サスケと。カカシの四人でバタバタと任務をこなして、時々厄介なことに巻き込まれて。騒ぎの発端となったナルトにサクラが制裁を加えて、それを冷めた目で見るサスケに食いつくナルトをまた叱咤するサクラ。少し離れて、呆れ顔のカカシが居る。
「毎日が、幸せだったよ」
そんな日常が当たり前になって、いずれ廻り来る別離に目を背けていた。目を背けていたとしてもいずれ来ることを誰もが知っている。
一度はサスケの里抜けにより経験した離散だったが、今までが運良く七班に欠員が出なかったというだけで、忍という職業柄いつどの瞬間に失われるか不明瞭なことに変わりはなく。
―――――例えば、“死”とか。



「だから、これ以上のものは要らない」



本心の言葉だ。違うことはない。
「ナルトとサスケくんと。皆で築いた信頼に、これ以上のものは望まないから」
だから、と続けようとしたサクラの頬をナルトの手のひらが不器用に撫でた。ひたりと。温かな手のひらの感触に、自分が泣いていたことに初めて気付く。
「じゃあ、なんでサクラちゃん泣いてんだってばよ?!」
「お別れの時が来たんだなって」
サクラの言葉にナルトが硬直する。
「でも、悲しいお別れじゃなくて良かったって、思って」
未だサクラの頬を捉えたまま、ナルトは表情を強張らせ、言葉を選んでいるのか唇を震わせている。
頬に触れるナルトの手の甲を包み、首を傾げて愛しむように頬擦りする。
「第一、一国の主がお嫁さんにしてくれるなんて、そうそうない話なのに断る理由なんてないじゃない」
ね、と笑って説き諭す。いつの間にか涙は乾いていた。
そんなサクラに、ナルトは肩透かしを食らう。
「将来火影になるっていうオレからの求愛は断るくせにさー!」
ぶぅぶぅと唇を尖らせて不平を募らせるナルトの金髪をサクラの指が優しくなでた。
そうすることでナルトはサクラに向く。
「ナルト・・・いつも、ありがとう」
笑って、動きを止めたナルトの正面から抱きついて、精悍な背中に腕を回す。
完全に静止したナルトに構わず、力を込めてぴたりと身体を寄せた。
「ありがと」
ナルトの胸に頬を埋めてもう一度告白する。ナルトはウンとだけ応えて、無言でサクラの背中を掻き抱いた。





東の空が輝き、また新しい朝が廻る。
空が白やむ頃、ナルトは帰っていった。
いつかの日のように、二人で過去に思いを馳せては笑った。
帰り際、サスケは未だ暗部に拘束されているとだけ零していった。
ナルトとサクラとのコンビネーション以外は信頼できないという里の判断だろう、サスケは任務以外は暗部の本部に身を置かされていた。
一週間前に任務で同行したのが最後だった。
それでも、これが今生の別れじゃないと言い聞かせて、しぶるナルトの背を押した。
窓から出たナルトがすばやく近くの建造物に身を移すのを見届け、そのまま空を見上げる。
冬の朝はキンと凍え、空は澄み渡って高い。
傾く三日月と廻る太陽を眺める。沈み行く月の先にあるのは―――砂の大国だ。
太陽がふつりと地上から切り離されるように昇り始めた時、控えめにドアがノックされた。まるで返事を待たないように開かれる。
「・・・綱手さま・・・」
「何故、居るんだ―――・・・ッ!」
あたかも居ないこと前提だったかのように、綱手が苦虫噛み潰したように顔を歪ませる。
サクラは窓を閉め、何事もなかったように外気を遮った。
「・・・昨晩、訪問者はいなかったのか?」
ナルトのことだろう。
シズネを通して、綱手はサクラを逃そうと企てていたのだ。
いいえ、とサクラは頭を振った。
「一晩、お時間頂きましてありがとうございました」
「・・・一度、受けたなら“撤回”は不可能だ」
国で決めたことだ。綱手は見定めるようにじっとしている。
だから、想いを振り切るようにサクラは頷いた。
はい、と。声は出なかったが、肯いてみせる。
「それが、木の葉と砂の絆となるようであれば」
言って、ハ、と漏らした吐息が震えた。不覚。
「砂隠れには昔からの忍びの悪しき風習がまだ拭い去れていないとチヨばあさまはおっしゃられた。新しい時代を作り出すのは私たちだと。これから、砂と木の葉とで手を取ることも必要だと。未来に向けて、砂に蔓延る悪しき風習を撤廃するためには、必要なことです」
「お前は・・・優秀だな、サクラ」
美しく彩られた綱手の唇が僅かに歪んだ。
そのまま綱手はサクラの元まで歩み寄る。
「もう少し馬鹿になれ・・・! お前を育てたことに悔いしか残らん」
綱手の指がサクラの頬を辿り、耳をなぞり、柔らかな春色の髪を緩く撫でた。後頭部を引き寄せて、綱手の豊満な乳房にサクラの頬が押し付けられる。
「いえ、綱手様・・・わたしは感謝でいっぱいです。わたしに最後のチャンスを下さったから」
ゆっくりと瞬く。
開いた眼にはすでに迷いはない。



「―――――“忍として”の覚悟を図る機会を下さったから」
 


サクラの応えを聞いて、綱手は頷かないが目を瞑って静かに告げた。
「情報漏洩を防ぐこともあって、お前が嫁ぐまでの期間、里の監視下に置かれる。これより里の人間、ならびに親族に会うこともできない」
相手が一国の長なのだ。それほどの警戒は当然のことなのだろう。
忍道を歩むことを心に誓ってから、別れの言葉なく逝くこともあるだろうと遠くで思っていた。
まさかこんなにもそんな日が来るとは思わなかったと、客観的に思ってしまう自分が滑稽だった。
今まで如何に保守的になっていたのかが恥ずかしい。
「そして今日から・・・砂に嫁ぐまでの期間、お前に“護衛”と・・・“訓練”の人間を就ける」
「・・・護衛と訓練・・・?」
綱手の言葉を鸚鵡返しになぞる。
綱手はサクラから身を離し、ゆっくりと視線を伏せた。定まらない目線は、言葉を選んでいる時の―――“何か”に躊躇しているときのクセだった。
綱手さま、とサクラが声を発すると、白い面が苦笑した。
「“お前が”木の葉の刺客と見なされないため、一定の期間チャクラを練れないよう呪式を組み込む。それと、どこから情報が漏れて、万が一にでも花嫁であるお前の身に何かが起きた時に備えての護衛だ」
「じゃあ、“訓練”って・・・?」
チャクラがなくとも体術なりで凌ぐ自信はある。綱手の下で修行してきたのだ。忍としての実績も積んできている。
「砂は、一夫一妻制だ」
怪訝になるサクラに、再び綱手は俯いた。そして口早に告げる。





「―――――夜の営みの為に、お前を“慣らす”人間だ」
 










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