一つ、一つが分岐点だった。
幾度も分岐点は現れた。
例えば13歳の離別。
例えば16歳の再会。
例えば16歳の絶縁。
そう、例えば。



(―――――あの夜だって、分岐点だった)



サクラは独白する。
“初めて”他者を受け入れる恐怖や拒絶や苦痛を覆い被さり、彼が触れる全てがサクラの意識を塗りつぶした。
まるで幻術にかかっているのではないかと思えるほど意識は混濁して、禁忌に背く渇望感すらサクラの頚椎を犯した。
しかし、幻術と思える以上に“あの夜”はあまりにも甘やかで、優美だった。
誘えば誰でもいいのかという絶望と。
相手が誰でも愛せるのかという幻滅と。
サスケから背く理由になるには充分な“きっかけ”だった。
サスケの指先は丁寧に―――他者に触れられることすらなかったのだから、定かではないが―――唇すらも指先で丁寧に辿るほどに、サクラを愛した。
あの接触ですら、サスケはサクラを魅了した。
更に言えば、サスケの指先で快楽を得るほど逢瀬を重ねることになるなど想定外の出来事で。
離れようと施策した結果、離れられないのはやはり自分なのだと春野サクラは自分自身に絶望し、幻滅した。
(―――――日付、変わっちゃった。サスケくん)
月が傾くのを確認して、サクラは小さく嘆息した。











「・・・サスケくん、寝不足?」
別に、と答えるサスケは夕方にも関わらず寝起きのように目がうつろだ。
火影補佐としての2日続けての職務からの帰宅時、依頼人からの差し入れである夏野菜を数多く譲ってもらったため、ナルトとサスケにも差し入れしようと、帰宅順を考えてサスケの家へ訪れたのだ。
昨日と今日にかけて、特に目立った任務に就いていなかったはずだというのに、サスケは酷く倦怠感を纏わらせていた。
あわよくばお夕飯を一緒になどとサクラは淡い期待を抱いていたが、用件だけ済ませて帰ろうと、大雑把に入れられた数々の野菜を大まかに分けて、リビングのテーブルに置いていく。トマトはサスケが好きなことを知っているから、何も聞かずに少し多めに。
「昨日、いつものお店でバカ騒ぎしたんだってね。火影様のところに店主がいらしてたわ」
そういえばと話し掛けたサクラにサスケは鼻息で相槌を打った。サスケにとって散々な目に遭ったのだろう。
話を聞けば、ナルトだけでなくキバまでいたというではないか。
シカマルはともかく、ナルトとキバは意気投合すると手のつけようがなくなることをサクラも経験済みだ。
サスケが独りで居るのではなくてよかったと、それだけが嬉しい。
サクラにとってサスケは“絶対”だが、サスケにとって“絶対”はない。ならば、“絶対”に近づけるように一人でも多くの仲間が一緒にいてくれればいいとサクラは思う。
袋の中の野菜を大方出し、一通りあることを確認して袋を閉じる。
「・・・これから他にも行くとこあるのか?」
「うん、ナルトのところにも。アイツ、放っておいたら全然野菜食べないから良い機会だし何か作ってあげようと思って」
野菜の入った袋を振り上げて、軽く力瘤を作ってみせる。
じゃあね、とサクラが身を翻したところの目の前でパタンと扉が閉じられる。
背後から覆い被さる影はサスケだ。
「え・・・?」
どうしたのとサクラが振り向き様に問うと、まるで挑むように唇を宛がわれた。
啄ばむだけの軽いキスは一度だけで、次に重ねられた時には舐るように口付けられた。
突然の接触に驚いて、思わず手にしていた袋を落としてしまう。
あ、と気をとられて声を上げそうになった唇の隙を縫って、サスケの舌先が侵入してくる。
「んう・・・っ」
歯裏から上顎にかけて舌先でくすぐるようになぞられる。
息苦しさに喉が鳴ったが、拒絶は許されず顎を取られ、腰を抱き寄せられて更に口付けを深められる。
サスケは口付けを解いて後ろからサクラを拘束したまま、耳元に唇を落とした。
「―――――お前は“諦められない”と言った」
先日のことだ。
あんなささやかなことは忘れ去ってしまえばいいのに。
きゅうと眉を寄せたサクラに気付いて、サスケは僅かに顎を引いた。
「“何”を諦めようとしている?」
表情の変わらないサスケに、頭に血が上る。
一体何のつもりなのか。
「サスケくん、それを聞いてどうするの・・・?」
サスケの漆黒の瞳は揺るがない。
何でもないことだ、と言って見せたサクラは泣き顔だ。
零れる涙を堪えようと、背後のサスケから逃れるように俯いて奥歯を噛み締める。
嗚咽をゆるやかに吐き出したところで、左のこめかみに温かなものが触れる。
何がと面を上げると、瞼に柔らかく口付けを落とされた。
サスケに愛撫を施されていることに―――それを知って、乱暴に振り払おうと振り上げた腕は後ろから捕まれ、扉に縫い付けられるように拘束される。
サクラのすぐ後ろ、背中にサスケの胸板があたり、サクラの肩口にサスケの頬が押し付けられる。
耳元で息吐く音が聞こえて、身体を強張らせると背中から丸ごと抱き締められた。
「・・・サスケくんは、どうしたいの」
「さぁな」
耳たぶに口付けながら囁かれた言葉に思わず振り返ると、顎を捕えられて唇を奪われた。
容赦なく舌を捻じ込まれ、押し返そうとするサクラの舌先はサスケの好きに絡まれ舐められ、いつにも増して肉感的な口付けはサクラの理性を拭い去るには充分だった。
後ろ向きに深く口付けられたことで息ぐるしさに、背後にいるサスケの肩を押して距離を置く。
ハ、と息を吐いた先、離れた唇の先で銀の糸が繋がっていることに気付いて、サクラは慌てて手の甲で唇を拭った。
濡れた唇を拭った手の甲でぎゅうぎゅうに唇を抑える。そうでなければ、先ほどの唇の柔らかさを強請ってしまいそうになる。
繰り返されるサスケからの接触に応えてはいけないと、舞い上がってはいけないと思う自分がいるのは確か。
しかし、サスケはサクラに応えようとはしないのも確か。
(―――――ああ、そうだ)
サクラは合点がいった。
この噛みあわない、捩れの連鎖を。
(わたしが、最初に嘘を吐いたから)
―――――だから。





サクラが18歳になる春の日、サクラは一つの嘘を吐いた。
気持ちはいらない。
わたしはサスケくんを好きだけどね、とサクラは付け加えた。
作り笑いが巧くなった自分はサイが言う通りの不細工なのだろう。
後腐れもしない、とも云った。
“俺への”任務か? と問うサスケに首も振った。
サクラにとって“くの一として”これから熾り得ることへの対処だとも。
だから気持ちはいらない、と。
一つ、一つを誓約のように言伝てた。
だから。
抱いてくれと。
その夜迎えた破瓜の痛みは、色とりどりの淡いクリームで甘く甘くデコレィトされた毒入りケーキのように甘美にサクラを痺れさせた。
その日一度の接触のつもりが、その後も二度三度と続き、やがては快楽を追うほどの逢瀬となった。
サスケも男なのだと、快楽を得るだけの雄なのだと己に絶望を煽ったはずなのに、結果より快楽を得るために欲しがったのはサクラで、結局離れることが出来なかったのもサクラだった。
(最低なのは、わたしだ・・・っ!)
サスケはサクラを淫乱として以外は見ていないだろう。
先日のイレギュラーともいえる媚薬がきっかけとはいえ、自分が吐いた嘘が招いた結果だった。
幼少の頃から抱いていた恋心を、こんな結末になるだなんて。





「―――――そうだよ、わたしは、サスケくんの気持ちは聞かない・・・!」
サスケの面は変わらない。当たり前だ。気持ちはいらないと言ったのは自分なのだから。
サスケがどう思ってるか、誰を想っているのか知って傷つくのも、嫉妬して醜い己を曝け出すのも厭だったから、防波堤を築いたのは紛れもなくサクラだった。
それでも言わないといけないと心が逸る。
言葉が喉を通るたびに疼痛が心臓を襲った。
「・・・って、言わなかったら。サスケくん抱いてくれなかったじゃない・・・っ!」
嘘ばかりを上塗りしていたからか、真実を伝えることにこんなにも胸が痛くなるものかと。
しゃくりあげると心までも震えた。涙は零れたが、両手をサスケに拘束されているから拭うこともできない。
「わたしはずっとずっとサスケくんだけを好きだけど、サスケくんは困るだけじゃない! わたしが傷つくだけじゃない! サスケくんが・・・っ」
前歯が硬質とぶつかる衝撃がして、唇が熱い。僅かに鉄の味がして、それでもすぐに絡まる唾液に意識が逸れる。
告白をサスケに遮られたのだと、己の煩わしさに悲しみが過ぎた。
呼吸とともにしゃくりあがったサクラを宥めるように、サスケの唇はサクラの唇を丁寧に愛撫して、いつまでも離れることはない。
「・・・そういうことは早く言え」
ようやく離れた唇が告げる。
なんで、と。吸われつづけて痺れた唇は言葉を発することが出来なかった。
「好きだ。だけど気持ちはいらねぇって。生殺しだろ」
サクラの額にサスケの吐息がかかる。
笑ったのだろうか。薄い唇が弧の字を描いているような。
なにが、と面を上げたサクラの問いはサスケによって。












「よう、お二人さん。同伴出勤ってやつ?」
火影塔の前で赤丸の毛繕いをしているところで、春色と闇色をした二人組みが通りかかったのをキバはすかさず声を掛けた。
通りかかる随分前からこちらに向かっていることは認識していたのだが。
サスケは煩わしそうにキバを見遣り、なんでもない仕草でサクラの腰に手のひらを置いてキバから距離を置かせた。
「そんな距離じゃ、オレの嗅覚から逃げられないぜぇ!」
カカ、と特徴的な八重歯を見せて笑うキバに、サクラは首を傾げた。
なんでもねぇよと先を急ごうとするサスケに、じゃあね、とサクラはサスケの後を追った。
立ち去っていく二人を見て、キバは鼻を鳴らした。
(まさかなぁとは思ったけど)
―――――彼女の白い肢体に彼の精悍な身体が重ねられ、あの冷たささえ伺える美しすぎる翡翠色の瞳が快楽に浮かされ、表情を表に出さない白い面も悦楽の熱に上気するのだろうか。
柔らかな身体が幾度も彼を強請って擦り寄り、柔らかな寝台の上で気丈の少女が愛を紡ぎ、寡黙な少年は愛を告げるのだろうか。



―――――やがて。
彼女が彼の子どもを身篭り、産む時がやってくるのだろうか。



すでに遠くになった二人が並んで歩く背中を見遣って。
ほう、とキバは感嘆の息を吐いた。











ブラウザバックプリーズ






SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送